榊原地元学

  榊原の偉人 1 
     日本の「エッチングの父」 
西田半峰の図1  
西田 半峰 (にしだはんぽう)
  (1894〜1961)

 エッチングの父といわれ、昭和の初めエッチングの手法を広めた画家。森町(旧久居市)に生まれ、養子として横浜に移り住み、文明開化の風潮の中に育ったのです。
 大正3年、文部省美術展に出品した水彩画が見事に当選。その後関東大震災の後、ふらっと中国大陸に渡り絵筆一本で10ヶ月の放浪のたびを続けることで、感銘深い構想を持つに至ったといいます。
 
 帰国後は、東京で日本で始めて画商を開き、エッチングを研究、その手法を広め初めました。
 しかし、昭和20年の東京大空襲で自宅を焼失し、榊原へと疎開することとなったのです。

 西田画伯の生活は人里はなれたもので、白いひげのおじさんとして子供達からも親しまれ、67歳でその生涯を閉じたのです。
 榊原ではハガキをキャンパスに、5万通を目標に田舎を描き続けました。
 今では榊原町で、西田画伯を知る人、ハガキを持つ人も少なくなりつつあります。


  榊原の偉人 2
     榊原温泉復興 
 
田中善助(たなか ぜんすけ)
  (1858〜1946)

 水力発電事業を起こし、明治37年三重県に初めて電気の火を灯した人物で「真珠の御木本、オブラートの小林、電気の田中」といわれる三重県三偉人に数えられ、伊賀の近代化に尽くした事業家。
 昭和10年春、榊原温泉を訪れ、その泉質の良さに心ひかれ、温泉復興を申し出たのです。

 田中善助翁は、当初老後を過ごす別荘を榊原に置くつもりでしたが、村の要望に沿うよう、参宮旅客の休養地にするべく計画を進めます。

 かくして浴場を新築し、昭和11年12月20日県内外の知名の士を招いて榊原温泉復興式典があげられました。
 そして、参宮急行電鉄佐田駅(現在の近鉄榊原温泉口駅)と温泉を結ぶ間に、私費と村費を合わせ道路の建設を行い、温泉客の足として温泉バスを往復させました。
 その後、幾多の推移を経て、昭和31年12月20日、復興20周年を記念して「温泉復興功労者田中善助翁碑」が地区民によってたてられ、その徳を永くたたえているのです。


 
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